独り言雑記帳2


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03/27/02
●マシン・メサイヤ

先日、振り込みの用事があり、たまたま朝起きていたので開業時刻すぐに銀行に行ってみると、人々の列がドアの外にまではみ出している。去年ゴールデンウィークの直前にもこういう光景を見たので、今回も、連休後の給料日で月末にはまた何日かATMが閉まるというので混んでいるんだなと思ったのだが、どうも開業すぐにオンラインがトラブったらしい。ATMは全部止まって、行員さんが「すみませんが機械の故障で…」と説明している。手数料をATMと同じにするというので、その場ですぐ人間のいる窓口に向かう人もいたが、機械よりは時間がかかるだろうと思い、家からすぐの場所なので、またお昼過ぎにでも来てみようと一旦帰った。1時過ぎに、そろそろ直っているといいなと思いつつ行ってみると、お金を出したりとかは出来るのだが、振込関係だけが復旧していない旨、貼り紙が出ている。行員さんに聞くと「向こうの(人間のいる)窓口でやって欲しい」ということなので、何も考えずにそっちに行って番号札を取った。が、ふと、(幸いにも)やはり何か書かないとならないのだろうかという疑問が湧き、そばにいた別の行員さんに聞くと「それでしたらこの紙に」と、振込用の紙を取ってくれた。一瞬、「え、口座番号。知らないぞ」とあせったが、振込カードを見ると相手の口座番号が書いてあった。そんなことには初めて気づいた。振込も多いはずの給料日にATMが故障しているので、窓口も混んでいる。それでしばらく待つうちに、また(幸いにも)、この紙を出しても、お金はどこから払うのか?という疑問が湧いてきた。最初に行員さんに「あちらで」と言われた時には、カード振込をしたい人は、窓口に専用の機械が置いてあってそれでやってもらえるような気がしていたのだが、見ているとどうもそういうことをしている人がいない。またまた別の行員さんをつかまえ(トラブルの最中なので、普段より大勢人が出ているのだ)、「すいません、これは、えーと、機械で現金を出してから窓口で払うということですか…」と聞く。こんなボケた質問にもこういう際なので親切に対応してくれる。当然、通帳も判子も持っていないのではそうするしかなく、ATMの方に行って現金をおろしてきて、順番が来た時にはミスには全然気づかれず、更にATMと同じ手数料で振込をしてもらった。こんなに丁寧にしてもらって、大体、機械が故障しているのが始まりだというのに、ATM振り込みしかやったことのない人間というのは、自分の手書きの振込用紙で窓口に現金で払うという行為には、「どっか別の口座に振り込まれたりしないだろーなあ…」という不安ばかりを覚えるのだった。
02/27/02
●解明された謎と謎のままの謎

ある対談集を読んでいたら「文化人形」という話題が出てきた。ある年代の人々に懐かしい昔の人形だろうということはわかったが、実物がどんな感じなのか見てみたかったのでgoogleで検索してみた。まったく便利な世の中だ。結構ヒットして、基本的にはボンネットを被り、ワンピースを着た単純な人形らしいということがわかった。目がとにかく、少女漫画の原形になったかと思われるように大きく、睫毛バチバチでお星様キラキラなのが興味深かった。そういう人形たちの載っているページには、バービーなども載っていたりするのだが、そこで発見したことがあった。
日本で最初にバービーが売り出された頃、同時にか少し遅れてかはよくわからないが、妹の「スキッパー」や従姉妹の「フランシー」という人形も出ていた。当時、私はバービー人形は持っていなかったのだが、このフランシーを3つ持っていた。親、親戚、親の友人、からそれぞれお人形をプレゼントされたのだが、それが揃いも揃ってフランシーだったのだ。服はもちろん、それぞれ違うものだったのでそれは嬉しかったのだが、肝心の「バービーちゃん」を持っていないというのはなんだか少し淋しい気もしていた。きっと、うちの親とか親戚は妙な好みのところがあるから、人と同じ物を買うのは嫌だと思ったのだろう、お友達の人は、バービーはもう親が買ってくれているだろうと思って違う人形を選んだのだろう、などと推測していたが、あらためてフランシー人形の画像を見て、どうやらそういうことだけではないかもしれない、という気がした。
フランシーは、可愛いのだ。今まで、2つの人形の違いは髪とか目の色くらいで、そんなに違いはないだろうと思っていたが、そうではなかった。バービーは、金髪でまぶたが半分閉じたセクシーな青い目、眉も上がったラインを描く、いかにもアメリカの美人という顔だ。スタイルも胸とヒップは形良く突き出し、ウエストはきゅっとしまっている理想のプロポーション。それと比べるとフランシーは髪はダーク、顔立ちは、フランス系美女ということか、要するに大人し目の親しみ安い顔立ち。プロポーションも控え目に見えるのだ(モード系の服のせいかもしれないが)。日本の大人がこれを売り場で見比べたら、どうしたってフランシーの方が可愛い人形だと思って買うに決まっている。別にキワモノ好みで従姉妹を選んだわけではなかったのだ。それにしてはバービーに比べてフランシーの知名度が著しく低いのはどういうことだという疑問も湧くのだが、まあそのあたりのことは詳しい人々に任せたいと思う私である。
02/17/02
●躓きの石

世の中には、繰り返し同じタイプの悪い男にひっかかって、繰り返しひどい目にあって泣く女性達というのがいる、という事を聞く。自分でもそのたびに「もう嫌だ」と思っているのになぜか再び同じような男に魅かれてしまうというのだ。私はそういう面での甲斐性はないので、自分とは縁の無い話だと思っていたが、分野が変われば結構似たような目にあっていることに気づいた。
最近、ちょっとしたきっかけがあって昔遊んだRPGの事を思い出していた。あそこが大変だったなあ、とか、あのトリックには詰まった、とか、苦労して面白いゲームをクリアした時の思い出は楽しく懐かしい。そのゲームの場合、苦労の最たるものは、本当に馬鹿な見落としから、あるダンジョンでとっくに使えていた筈の武器を見つけておらず、それさえあればかなり楽だった筈の戦闘が本来の何十倍もつらいものになっていたことだった。いや、実際には、見つけてはいたのだが使い方がわからず無視していて、それを使えるようにしないとゲームの進めようがなくなる、という段になってようやく手をつけたのだ。そのくらいのマストアイテムだったのである。そのハンデというか養成ギブスのおかげで、経験値は、中盤ですでに終盤に必要な数値の10倍くらい稼いでおり、その武器の真価が発揮された時には戦闘はそれはもう楽で、ラスボスとの戦いは一瞬で終わったほどだ。
これだけなら単に微笑ましい話ですむのだが(そうか?)、ふと考えると、後日遊んだ別のRPGでは、これもまたトリックが解けずに、というかトリックにはまっている事もわからず、「何か手に入れていない物を見落としているのか?」とうろうろしている間に、今度は10倍とは行かないがかなりまた経験値を貯めてしまっていて、結果また終盤以降があっという間に終わったという、同様のコースを辿っていた。どちらのゲームもそれをやっている最中はいらない苦労をしていたとは感じず、「ちょっと大変だなあ、このゲーム」くらいに思っていたのだ。ドラクエやFFなどのメジャーなゲームだったら、あまりに厳しければ「これは変じゃないか?」と疑問を持つだろう。また、特に攻略本など見なくても友人と進み具合などを話しているうちに、やり方が間違っていれば(厳密には間違いではないが)、気づくことができる。しかし、私のはまったゲームはどちらもそういう、万人がやっているというゲームではなかったので疑問の持ちようも、気づきようもなかったのだ。そういう私を端から見れば「普通の恋愛が出来ず、また悪い男に利用されているのに自分では苦労していると気付かない女」と同じかもしれん、と思ったことである。
12/10/01
●減点ファン

先日、友人とライブに行った。70年代が全盛だったプログレ洋楽のコピーバンドである。コピーバンドと言っても、テクニックはすごいし、本家がライブではほとんどというか確実にやらないような曲にまで果敢に挑戦している。とにかくボーカルの声がかなり似ているところが嬉しい。また、本家のバンドは現在もニューアルバムを出し続けているのだが、そういう新しいアルバムからもちゃんとレパートリーに加えているという、ライブハウスで1500円(プラスドリンク)で見てしまっては申し訳ないようなバンドである。
さて、おりしも本家は今年の9月に新譜を出しており、コピーバンドのライブは11月末だったので、その時までに新譜をちゃんと予習しておこうと思っていた。やはり曲を熟知している方が演奏を楽しめるからだ。友人はかなり早くに買っていたようだ。だが私の方は、なんとなく買いそびれているうちに日にちが迫ってきてしまった。そろそろ予習しなければ、とあせっていると、友人がこのアルバムはオーケストラがやたら活躍しているからここからはやらないだろう、と言う。最後の曲だけはアコースティックなのでちょっと危険かもしれないが、ということだった。その日やはり行くことになっていた別の知り合いに聞いてみると、確かにその曲ならばやれば出来るだろうがその曲は回りのファンが嫌っているからたぶんやらないだろう、と言う。その人はそのバンドの人々や周りの人々と知り合いらしいので、これはかなり信憑性のある言葉である。
これで安心し、結局予習はしないで行った(実際、本職の合間に練習をするアマバンドとしては、2ヶ月では準備不足ということでやらなかった)。開演前にその知り合いの人が持参していた新譜を出して友人と話を始めたので聞いていると、
「最後の曲、みんなそんなに嫌ってるの?」
「いやー、評判悪いんだけど僕は結構好きだな、ここまでの緊張感が一気にそがれてほっとする感じがするじゃないですか」
「誉めてないですね…それより、最後のをどうこう言うより、まず○曲目のやつの方がよくないと思う」
「この、これなんかもちょっとあれだよね」
「後これの最初のあたりも嫌い」
「これも無くてもいいかな」
普通、ファン同士がそのバンドのアルバムの話をする時というのは「これが好き」「ここがいい」といって盛り上がるものだと思っていたのだが、こうも減点法で話されるアルバムというのは、もしかするとアルバムごと無くてもいいのではないか…ファンとして、一体買うべきなのかどうか、十分迷わせるに足る会話であった。
09/16/01
●嘘つき聖人の逆襲

以前の雑記帳で、自分の意思や利益に関わり無く嘘をつく嘘つき聖人の事を書いた。彼女は当時は近所にいたが、今は引っ越してかなり遠くなっている。それでも時々は会うが、以前ほどのペースではない。それで必然的に彼女のイノセントな嘘の被害に遭うことも少なくなっていた。だが安心するのは早かった。彼女が使用するのは即効性の嘘ばかりではなかったからである。
前にも書いたように彼女はよく映画を見る。ホラーやミステリー物が特に好きで、テレビドラマの「コロンボ警部」などもよく見ていた。その中で、レスリー・ニールセンがゲストで出ている物があるという。レスリー・ニールセンは「裸の銃シリーズ」の主役として活躍するコメディ俳優である。その彼があの真面目なドラマでどんな演技をするのか、彼のファンである私は興味を持った。彼女によると被害者役で、「つい、いつ死体が笑いながら起き上がるかと思って見てしまった」と言う。彼女ももちろんお笑いのレスリーを知っているのだ。ぜひ見たい、と思ったが映画ではなく、かなり古いテレビシリーズである。「ER」とか「Xファイル」ならどこのレンタル屋でも揃えているがコロンボとなると、映画版の物か、よほど有名な名作しか置いていない。だが最近、ちょっと離れた店にシリーズが揃っていることがわかり、データベースでタイトルを調べた上で、ちゃんとパッケージも見てレスリーが出演していることを確認し、借りてきた。面白かった。よくまとまった、いつも通りのコロンボ警部であった。レスリーはスペシャル・ゲストとしてクレジットされていて、出番も多かった。だが被害者ではなかった。コロンボ警部物だから別に書いて構わないと思うが、犯人で自殺するとかいうのでもなかった。一応は彼女の言を信用して次に殺されるのかと思ってみていたが、結局最後まで死体にはならなかった。本当に彼女には油断ならない。

●答えは42

先日、以前好きだった漫画のことをふっと思い出した。懐かしくなり、そのうち時間のある時に早稲田の漫画図書館で読もうかな、と思ったが、タイトルや発表年が思い出せない。載っていた雑誌と作者は覚えているが、短編の読み切りであり、現在の作者とは作風が離れていてコミックスには入っていないようだ。また、もし入っていたとしても、既に絶版であろう。それぐらい昔の作品なのだ。最近増えてきた文庫版コミックスにもまだ入っていない。とにかくタイトルがわからなくては話にならないので、検索エンジンでいろいろ探すと、世の中には懐かし漫画を愛好する人が大勢いるもので、その中の一つでめでたくタイトルを発見した(ちなみに作者のデビュー作であった。その後作風が変わったのはやはり「売れる物を…」という事なのだろう。私はその作品が他の漫画とは違っていたから気に入ったのだから…)。さすがに好きだった作品なので目にしたら「これだ!」と思い出したのである。
また、昔、セルビデオという物すらろくになかった時代には、ある映画が気に入って何度も見たいと思ったら何度も映画館に通うしかなかった。当時は二番館というものが割合にあって、ロードショーから落ちた映画を二本まとめて上映したりしていた。こちらのお目当ては片方でも、気に入っているから一度に二回は見たい。そうするとどうしても、もう一本の映画も一度は見ることになるのである。その中で割と面白かった映画が、最近になってちょっと気になった。当時は全然無関心だったし、今も別に「見たい!」と思っているわけではないのだが、インターネット映画データベースなどというものがあるので、逆に、タイトルくらい思い出してちょっと確認してみたいなあ、と思うようになったのだ。とにかくタイトルも俳優も全然わからないから当のデータベースはまずは役立たずである。覚えているのは「こんなシーンがあった」とかのあやふやな部分だけだ。しかしいろいろと検索しているうちに、映画ファンの人らしいページで、過去にどんな映画が映画館で公開されたかということを年別に表にしている人がいた。お目当ての方の映画で検索して引っかかったのだが、併映されたのだから当然同じ年にやっているのである。これも、やはり眺めていたら「ああ、これだ」と思い出し、データベースで調べたところストーリーが一致していて、めでたしめでたしである。
インターネットという物が出来、企業や団体や個人がそれぞれのホームページを作り、検索エンジンが充実してくると、以前だったら自分や周りの人がきちんと日記でもつけていない限り、記憶の彼方だったような事柄が思い出せる可能性が相当高くなった。ただの個人の日記だとしても、それが検索エンジンで引っかかるのなら、そこに面白かった漫画の感想や、見に行った映画のタイトルが書いてあるだけで、こういう時に役立つ事になるのである。こうやって互いが互いの外部記憶になるという事が文明の素晴らしさの一つである、かどうかはわからないが、有難いことであるのは確かである。
07/16/01
●East is east

この10年ほどの間に日本の「アニメ、オタク文化」というものが海外に流出されるようになり、いろいろな国でそれなりのニッチを獲得しているようだ。もう、それこそ10年近く前にアメリカで放映されているという英語吹き替えの「セーラームーン」を見たし、FF7のページも英語のものが沢山あった。またここ数年は韓国や台湾など近隣諸国でも漫画同人誌やゲーム誌の出版が盛んらしい。台湾で売っているゲーム誌(日本の雑誌の台湾版)を見せてもらったことがあるが、中国語の中に日本語が混じった記事になっている。怠慢で訳さないのではなく、日本の雑誌に英語が入っているように「カッコイイ」という感覚で残してあるらしいのだ。投稿作品などを見ても日本のオタク漫画の影響が強いことが大変よくわかる。絵の横に書き文字でつっこみが書いてあるとか、言語が違うだけで精神的には日本の青少年とほぼ一緒に思える。
アメリカの最近の一部の映画やテレビドラマにも「オタク文化」の影響が現れているように思える。ホラーの「スクリーム」シリーズや、「バフィー・恋する十字架」など、少女が敵と(肉体的に)戦い、倒すという場面でカタルシスを得るという部分で、セラムンのような「女子活躍アニメ」やスト2のような「格闘技物」との共通点を見出せる。だが一つ大きな違いがある。
「スクリーム」の場合は敵もヒロインも普通の人間だから、ただ格闘したり銃や武器を使うのも当然だが、「バフィー」の場合、敵はバンパイヤや悪魔であり、ヒロインバフィーは「選ばれたその時代でただ一人のバンパイヤスレイヤー」という存在である。もしこれが日本で作られた作品であったら、ヒロインが敵を倒すのに使う一番の力は、必ず何か超自然的なものになるだろう(そして戦いの最後でその力を使ってようやく決めるという、水戸黄門形になるだろう)。しかし、見ている限りバフィーの「力」というのは単に格闘技としての戦闘能力でしかない。パンチやキックの威力や速さ、武器をうまく操る運動神経、反射神経の良さ、体力、そういうものがきわだって優れているのでモンスターに対抗できるという話なのだ。もちろんモンスターの方もほとんどが肉体勝負で、妖しいわけのわからない力などというのは持っていない。このドラマを見ているとスパイダーマンや、バットマンのキャットウーマンが自分のコスチュームを「縫ったり」「洗ったり」していた「なんだか妙に現実的な部分のあるアメコミの世界」を思い出し、「やっぱり違うわあ」と思うのだった。
04/8/01
●カオス・ミュージック

好きこそ物の上手なれ、という言葉があるが下手の横好きという言葉もある。私にとって音楽というのは後者に属する。それも、何か楽器を嗜んでいるが才能が今一つで上手に演奏できないとか、暇な折に作詞や作曲を試みているがどうしても誰かの亜流のような作品しか出来ないといかいうのだと、まだなんとなく格好がいい(と思う)のだが、私は聞くことが既に下手だ。まず、一回や二回聞いただけでは曲を覚えられない。ここで覚えるというのは決して「歌える」という意味ではなく、その曲を識別出来るというだけの意味である。興味の無い曲だと何回聞いても覚えていない。一度、ある人が短いTVアニメ(5分くらい)がまとめてDVDに入った物を持って来てくれたことがあり、10何回か分オープニングとエンディングの曲を聞いたのだが後日まったく頭に残っていないことに気がついた。次に聞いてもきっと識別できないと思う。まあ、そういうのは自分からは積極的に聞かないタイプの曲なので別に問題はない。
困るのは好きなミュージシャンの場合だ。アルバムを新しく買って聞いたとすると、最初のプレイでは、無意識の領域ではいろいろ判断しているのかもしれないが、意識の上ではまず混沌である。一曲一曲の区別がつかず、くらげなしただよえる状態だ。5回目くらいのプレイで、ようやく天の沼矛がかき回されて「覚えやすい」あるいは「好きな」曲の片鱗が浮かんでくる。10回くらい聞いてようやくそのアルバムが「全体に割と好きな方」か、「好きな曲はあるけどいまいち」くらいか判別できるようになる。
若い時は感覚が今より(たぶん)鋭敏だった分覚えるのも速かった(ような気がする)し、とにかく暇だったのでいちいちそんな事は考えずに聞いていた。そして、好きなものはしつこく聞くタイプなので自然と覚えるまで聞くことになったわけだ。しかし年を取るとつい効率ということを考えてしまい、好きなのかそうでもないのかくらいは速くわかりたいし、好きなら好きでさっさとクリアしたい、ということになる。クリアというのは、好きだろうがいまいちだろうがとにかくそのアルバムの曲を全部覚えて、歌詞カードを見なくてもとりあえずアルバムをかければ付いて歌うことは出来る(歌詞は不完全でも可)、という段階に達することだ。ここまでに一体何回のプレイが必要なのかはもうあまり数えたくない。期間でいうと、メールに書いた内容などから判断して、一枚について大体一月弱くらいかかっているようだ。その間毎日平均一回か二回はプレイしているわけである。
ドラクエ以降ゲームミュージックという物に目覚め、好きな部類に入るようになったのは、もしかすると、ゲームの音楽というのはそのゲームをプレイしていれば否応無しに何度も何度も聞くことになるせいかもしれない、と思う今日この頃である。
03/25/01
●砂上の楼閣

地震や台風が多く四季の移り変わりもクリアな土地に住む日本人は昔から諦めがよいとされてきた。諸行無常という言葉があり、咲いてすぐ散る桜を潔しとして崇め、とにかく未練を残さず流れて行くのが美しいとされている。江戸では火事も頻繁であり、苦労して立派な家を建てたとしても紙と木なのだからあっという間に燃えてしまう。そこにつけこんで金儲けをしていた人々だっていたのだが、とにかく大多数の人々は天災も人災も運命と受け入れ、また最初から新規巻き直しを図るしかなかった。そしていつかは燃えたり崩れたりしてしまう物だと思っていれば、ますます、わざわざ自分で苦労して作ってもしょうがないということになって長屋住まいに落ち着き、仮の住まいだと思っていれば手入れもおろそかになる。そういう昔ながらの日本人、特に江戸っ子の気持ちがよくわかるのが最近の私である。
私の使っているマシンはNECの9821で、ほとんどPC界のオースティンパワーズなのに、無理してwin98を載せたりいろいろいろいろさせているのでいつも青息吐息状態である。なにしろメモリが最大128までしか入れられないのだ。photoshopがまだ5.02なのでどうにかなっているが、6にバージョンアップするためにはこれでは相当厳しいだろう。IEももういい加減5にしても安全そうだ、というよりした方が良さそうだ。OSも、W2KはNTの後継なので相当安定しているらしい(人によっては逆のことを言うが)。ということでついに互換機組み立て(てもらう)を本気で考え始めているのだが、財政面がなかなか許さない。それでもまあ近いうちにはなんとかという頭もあって、そうなると現在使っているマシンでちょっと不都合があっても真面目に直そうという気が起きない。IEのお気に入りを整理したってまたぜーんぶ始めっからやり直しの刑だと思うと、気に入ったページがあってもお気に入りに入れないまま毎回検索ページで探していたり、photoshopでカスタムブラシを作ろうかと思ってもつい「どうせなら6にしてから…」と思い、そのうちどんなブラシが作りたかったのか忘れてしまう。マルチメディアだって今いい音にして画像も見られるようにしたって新しいマシンでまた同じことをすると思うとやる気にならず、いい加減な音で聞いている。馬鹿なMSIMEに腹を立て、早くATOKの新しいのを買って入れたいと思いつつ、今更このマシンに入れても…と思うと結局そのままろくに辞書登録もせず毎日「馬鹿!」とののしりながら使っている。そして何かさせようとして固まり、復帰できずにチェック付き再起動を何度か繰り返した後に、レジストリ初期化、書き戻し、というコースが3日に一度、という日常を送っていると「人生なんて砂の城…」というフレーズが余り深い意味も無く浮かんでくるのだった。
02/25/01
●お節介な会話

私は現在漫画家をしているくらいだから昔から漫画を読んできた。好きな物はコミックスで買って取ってあり、今でもよく読み返す。特に読みたくなるのは仕事に入る直前とか仕事中で、10何巻もあるコミックスを一気読みしたりする。こういう時間のかかる行為は暇な時にすればいいのだが、そういう時にはもっと他にしたいことがあるのだ。このあたりを追求すると自分が本当に漫画好きなんだかよくわからなくなるのでやめておく。
少女漫画を主に読んできた私だが、ずっと引っかかる点があった。よく言われる、主人公の目に星があるとか人間とは思えないプロポーションとかではない。そんな物はゲームのキャラと同じでずっと接していれば記号として捉えられる。出てくる男の子が女の子に都合のいい王子様でリアルでないとかいう批判もあったが、そんなことは創作物の中では程度の差こそあれ当たり前のことだし、大体女の子のキャラだってリアルではなかったのだから別に構わない(もちろん人物がリアルで面白い、という作品もある)。
私が気になったのはキャラクター達の会話である。今は少なくなったが、私がよく読んでいた頃の少女漫画は外国が舞台で主人公達も外人ばかりという物が多かった。フランス、イギリス、ドイツ、アメリカなどが主で、主人公はアングロサクソンやゲルマン民族の少年少女。もちろん子供(しかも頭が悪い)の私が当時「西欧人がこんな日本人のような思考をするわけがない、おかしい」などと思っていたわけではない。私が子供心に妙だと感じたのは、つまり、この人達は外人なのだから当然お互いに話をする時には英語やフランス語でしゃべっているだろう。だがそれにしては会話のつながりが変だ、という時がたまにあったからだ。フランス語やドイツ語はそれほど知らないのでそれらの国が舞台である時はそれほど気にしないようにしていたが、アメリカやイギリスで、たぶん英語で話していると思われる漫画だと、一応義務教育で英語を習っている身としては、「日本語と語順が違うんだし、普通主語は省略しないんだから、こんな勘違い(別の人がその子を好きだ、と言っているのを当人が言っていると思うなど)なんかするわけないんじゃない?」などと、内容とは全然関係ない部分が引っかかっていたのである。そして、「じゃあ、原文(て、なんだ)ではこういう言い方にしていたということかしら、変な文章だけど」などと余計なことまで考えてやっと安心する始末であった。
その中で一つ、どうしても正解(って、だから、何)が思いつかず悩んでいた物があった。そんなことで悩むくらいなら他にいくらでも悩むべきことがありそうなのだが、気になる物は気になるのである。その話は16世紀末のイギリスが主な舞台でキャラクタも大体はイギリス人。だが基本的に西ヨーロッパ全体が関わってくる。二人の青年が会って、片方がもう片方に今まで仲間に知られていなかった秘密を思いきって打ち明けようとしている。打ち明けようとしている青年はイタリア貴族で、実は法王の私生児だったのだ。それを聞こうとしている相手はイギリス貴族である。秘密が重大なのでイタリア人は口では語らず、イギリス人の手を取り、指でその掌に字を書く。「私は」「現法王なんたらの」というところまできて、イギリス人は相手が何を言おうとしているのか察し、相手の気持ちを気遣って手を引っ込める。イタリア人の方も相手の気遣いにまた気づき、互いの好意を深めるという感動的な場面である。だがここで私は「だって英語なら『私は』の後に『私生児』ってすぐ来るんじゃないの?」という疑問の方が先に立ってしまうのだった。
私はこの漫画が好きなのであっていちゃもんをつけるために読んでいるわけではない。だからちゃんと感動するために、理屈に合う原文を考えて納得したいのである。所有格を使って肝心の単語を後にする手がまずあるが、「現法王なんたら」という長い単語にアポストロフィーSを付けるのはあまり美しくないような気がする。関係代名詞とかを使って「現法王なんたらが作った」とかいう文章にするとか、文章を2つに分けるとかいろいろ考えてみたが、どうも不自然だったり絵にマッチしなかったりして心にぴったり合わない。結局、イタリア語で書いたということにするのがいい(イタリア語のことは私はよく知らないし)という結論に落ち着きかけていたが、最近になってもっとよい解明法がもたらされた。それは、「ラテン語で書いた」という推論である。ラテン語というのは英語やフランス語などと違って語順が大層自由なのである。先頭に置けない単語とかもたまにあるが、ほとんどどう置いても許される。格変化がきっちりしているから、単語の位置で品詞を決められない代わりに、どこに置こうと文章の意味は変わらないのだ。彼らは二人ともヨーロッパ貴族で知識人なのだから当然ラテン語の素養があるに決まっている。そして、こんな場合に使うにふさわしい言語でもある。この、ラテン語の語順の事はごく最近学んだ知識であるが、これで長年の謎が解明され、安心して感動に浸れるようになったのだから、いくつになっても勉強という物は大事だ。だが、私の場合知識は知識であって実践する気はないから、「じゃあ結局その文章をラテン語にするとどうなるのだ」などと聞いてはいけない。
02/17/01
●記憶の絆

今更あらためて言う事でもないが、私は記憶力がとても悪い。このこと自体、もうここの雑記帳で何度も書いている。やれやれだ。興味のあることは結構(自分の基準で)覚えるが、興味がないとほとんど頭に残らない。昔の推理小説でよくあったのは、ある証人が、自分では大事だと思っていないのでその場にいたのにそこで何を見たか覚えていない。そんな時に探偵が「見たものは絶対頭の中にあるのだから落ち着いてその時のことをゆっくり思い出せ」などと言う。証人はそれに従って目を閉じて集中し、「廊下を歩いて、部屋のドアを開けて本棚に行こうとして...あ、そうだ、そこにいつもあったはずの花瓶が無かった!」などと見事に犯人特定につながる事実を思い出す。こういう場面を読むたびに私は「絶対こんな事件に巻き込まれて証人になったりしたくない」と思ったものだ。私ならまずその時自分が何をしていたかをまず思い出せないし、下手をすると犯人にされてしまうに違いない。もし犯人だとしたら忘れないとは思うのだが、それすら自信がない。しかしまあ私が弱いのはそういう行動面よりも、その、例に上げたような視覚的な記憶の方だ。自分の部屋ならともかく(それも怪しいのだが)、たまたま行ったホテルとか他人の家の部屋に何があったかなどと、いくら実際に目にしていてどんなにゆっくり思い出そうとしてもたぶん思い出せない。催眠術をかければ思い出すのかもしれないが、それにしても元々視力が悪いので「なんかあった」というのは見ていても「何があったか」というのは、興味を引かれてちゃんと見たのでない限り、やはり思い出せないような気がする。
先日友人と食事をしていた時に飲食店の話になって、彼女が「そういえばおまえの実家のすぐ近くにファストフードがあった、あれは何だっけ」と言い出した。彼女は私がまだ実家(現在地から電車で約1時間半)にいた頃からのつきあいで何度か遊びに来ていたのだ。言われて、そういえばそういうものがあったことは思い出した。だが、それすらも、「えー、どこに?」とか「近くって、歩いて何分くらい?」とかさんざん質問した後のことである。聞くとどうやら歩いて1分もかからないところで、しかも駅に向かう方向にあったというので、ほぼ毎日目にしていたはずである。確かに何度かは買い物もした気がする。だが、何の店だったかということは全然思い出せない。こういう時私は「ああ、思い出せないや」で済ませるタチなのだが彼女は違う。その後も「ロッテリアではなかった」「割とマイナー」「デイリークイーンのような気がする」「赤と白の色が目に浮かぶ」などとメールしてくるのである(別にそれだけのメールではないが)。そして問題は今では(私が先日行った時の記憶では)もうその店がなくなっているので、どんなに彼女が思い出す努力をしても確認が出来ないという点にあった。
私がまったく当てにならないことはわかったので彼女は「弟に聞いてみろ」と言い出した。当時私の弟は高校か大学くらいの年だったからファストフードにはなじみがあったはずだ、というのだ。姉より若い分記憶力がいいという期待もあるに違いない。だがそこにも問題があって、弟と私は7つほど年の差がある。それだけ年が違うと、同じ家に育ってもあまり「姉弟」という感覚がない。どちらも共に一人っ子という感じで育ってしまうのだ。さらに性別も違うから、生活や趣味の共通点もあまりない。もちろん世の中には年がだいぶん離れていて性別が違っても、同じ趣味だったり性格が合って仲がいいという人々も大勢いるだろうが、とにかくうちは違うのだ。大体、小さい時はともかく、中学生くらいになると弟は普通の健康な男子として、家族よりも友人達とのつきあいを優先していて、朝学校に出かけたら家に帰るのは夕食の時と寝る時くらいだった。高校生になると夕食も友人との外食が多くなる。だから、別に仲が悪いわけではないが、そんなに話したこともないし、お互いに関心がなく、相手が何をして暮らしているかもほとんど知らない。さすがに結婚した時は式に呼ばれたが、油断してギリギリに行ったら「家族はもっと早くから来ているものだ」と親戚に怒られた。親は私のことを知っているので何も言わなかったが。
そういう弟に急に電話をして「あのさー、昔うちの近くにさー...」などと下らない質問をするというのは、それは出来ないことではないが、あまり積極的にやりたいことでもない。彼女は「それとなく世間話をしてそのついでに、ふと思い出したという感じで聞いてみろ」などと難しいことを言う。そもそも世間話というのが私には困難である。「話題は今流行りのインパクとかジンジャー」などと細かい提言もしてくれたのだが、新聞を取っていなくてテレビも地上波はNHKか教育くらい(それもごくたまに)しか見ない私は、インパクというのも彼女に教わって知ったくらいでとても話が続きそうにない。「じゃあ、今の世の中だから気軽にメールで聞くというのはどうだ」という案が次に出たが、こんな疎遠な姉弟なのだからお互いのメルアドなど知るよしもない。彼女はだんだん呆れてきて「会社のアドレスに弟の名前をつけて送ってみろ」などと言い出したが、弟がどこのどんな会社に行っているのか私は知らないのである。何かの用事で会社からのファクスをもらったことがあるのでどこかの会社勤めをしていることは知っているのだが、こんな世の中だから既に変わっているかもしれない。彼女はそれでも諦めずに「年取ると昔の思い出を語ったりするだろう、あのノリで話しながら聞き出してみろ」と言う。しかしまずその語るべき昔の思い出が思い出せないからこんな仕儀になっているのである。
もっと年を取って、最近のことは全然思い出せないのに子供の頃のことばかり浮かんでくる、というような状態になったらそれが出来るかもしれないので、彼女にはもう少し待ってもらわねばなるまい。
02/13/01
●努力の父

最近、タイピング練習ソフトが流行っている。という程でもないが、とにかく漫画のキャラを使った物や美少女物など、工夫を凝らした物が複数の会社から出るようになった。昔は割とキワモノっぽい感じで「こんなのあるよ」と笑いながら見ていたりしたが、今や堂々と雑誌で見開き広告を使って宣伝されていたりしてなかなかの隆盛だ。
私はほぼ毎日のようにキーボードを叩いているが完全なブラインドタッチは出来ない。2本指ではないが、指とキーの関係は大層いい加減だし、しばらく打ったらキーボードを見てキーの位置を確認し直さないとわからなくなる。それでもこんな類の文章を考えながら書く分には不自由がないのでそれで済んでいる。昔はモニタだけを見ながら流れるように動く指、というのに憧れて一応練習をしたこともあった。正確にはしようとした、と言った方が正しい。始めてみても、当然だがいい成績は取れず、そうなるとすぐに嫌になってやめてしまうのだ。出来ないからこそ練習をしなければいけないのだが、同じ事を何度もやり直す努力というのが嫌いなのである。ゲームでもシミュレーションが出来ないのはそのせいだ。ロープレでレベル上げにザコ倒しをするのは時間がかかるとは言っても、とりあえず毎回やることが多少違うから耐えられるのである。タイピング練習ソフトで、一つだけそのロープレゲーム仕立てになっていてゲーム自体がとても面白そうな物があって、それだけは一生のうちにはやりたいと思ってはいるが、ポイントになる通過個所では決まった文字を制限時間内に打ちこまなければならないので、結局夢に終わりそうな予感がひしひしとしている。
とにかく、文章を打つと言ってもオペレータではないから考えながら打つわけで、その速さには十分追いつける(このような文章だと完全に追い越している)。パソコン通信のチャットでもほとんど支障がない。私の入っているmixでやっている事は正確にはチャットではなく、たとえリアルタイムで話していても内容が残っていて、そこにコメントを付けていったり、元コメントを辿って行けるのでそれほど速さというのは必要でないのだ。そう、必要がない。これがポイントなのである。
いくら努力が嫌いだと言っても、それが出来なかったら死ぬとか、この上なく楽しいことを味わえないとかそういう条件があれば私でも必死になる(たぶん)。だが上に書いたように生活にも遊びにも何の支障もないというのに、わざわざ時間を割いてほとんど必要の無い努力をするということは出来ない。そんな時間があれば別のことをしたいのが人情である。くわえて不器用で指が素早く動かせない(FF7の雪山登山のために連射コントローラーを買わねばならなかった)という事情もあり、元々身体的訓練には積極的になれないたちなのだった。
私の回りの人はいわゆるコンピュータオタクが多いのでキーボードなんかそれこそ皆さん「は?練習?そんなの別に?」という感じで叩いているが、一人学者さんでかなり後から練習してタイピング出来るようになった、という人がおり、その人に練習法を聞いてみたところ、「キーボードの図を書いて、それを記憶して頭の中に浮かべられるようにして位置を覚えた」ということだった。実は私も自分にはこの方法が一番向いている気がしている。万が一努力をする必要が生じた時にはこの練習法がある、と思うと今は安心していい加減なタイピングに甘んじていられる私であった。